忘れられた池田庄

忘れられた池田庄忘れられた池田庄 

かつての天竜川本流は 今よりも東側の磐田寄りに流れ、そこには「池田庄」という永く栄えた大きな荘園がありました。

忘れられた池田庄

浜松市東区中野町の国道一号の北側に、式内社に比定される「大甕神社」があります。この付近から磐田市西南部にかけて中世期の「池田庄」があったところです。ふるくは 天竜川の本流は磐田台地寄りに流れ、東海道の名所「池田の渡し」が置かれていました。


忘れられた池田庄忘れられた池田庄

「池田庄」は京の葛野「松尾大社」の社領で 磐田の国衙や京の都とも深い関係があったようです。松尾社は、渡来系の秦氏の氏神で、秦氏は 機織り、養蚕、酒作り、灌漑、建築などの生産技能にすぐれていたばかりか、明法道(惟宗氏)、雅楽(東儀家)、神官〈松尾社・伏見稲荷〉、僧侶、在庁官人などを多く輩出した氏族です。


忘れられた池田庄忘れられた池田庄

大甕神社は江戸時代までは松尾大明神または中野大明神と呼ばれていたようです。
【祭神】大山咋神 大国御魂神 (配祀)大鷦鷯命 倉稲魂命 金山彦命
大甕(おおみか)とは 穀物や酒や水を入れるために作られた大きくて立派な瓶(かめ)のという意味だそうです。


忘れられた池田庄忘れられた池田庄





忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄

時宗行興寺には、熊野御前のお墓と守り本尊の厄除十二面観音が奉られています。

忘れられた池田庄

熊野御前は、池田荘の庄司の藤原重徳の娘として生まれ育ち、重盛亡き後の平家の総帥となる平宗盛に仕え、平家滅亡後に出家し、この地で33歳でなくなられた方です。

忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄

和歌の名手であり、平家物語や能狂言にも取り上げられ 後世まで名を残されました。母親を弔うために植えられた藤の木が今日まで残り、ゴールデンウィーク前後に見ごろを迎えます。熊野(くまの)を音読みして、ゆや と読むのだそうです。


忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄

遠江は、平清盛の知行国であり、重盛、宗盛が国司に任官された国でした。
「池田宿」は当時としては、かなり賑やかな処だったようです。




忘れられた池田庄忘れられた池田庄


忘れられた池田庄

そのむかし、駿河国手越長者の妻が、千手寺(磐田市千手堂)の千手観音にお参りして、女児を授かったので、名前を「千手」とつけられました。長じてのち、鎌倉御所に仕える12人の官女の中で、1番の美女に名前を挙げられました。


忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄

一の谷で捕えられ伊豆に送られた平重衡(平清盛の五男・正三位中将・横笛の名手)の世話をされていたのですが、重衡が京の木津川で処刑されると 3年後に24歳という若さで亡くなられました。この時のエピソードが平家物語でとりあげられ、のちに、能の「千手」が創作されました。


忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄忘れられた池田庄

土地の人が この悲恋を偲んで建てた墓が残されていて「傾城塚」というのだそうです。(重衡が、千寿の美しさを虞美人にたとえたため。)
この話が、どこまで史実にもとづくのかよく解らないのですが、かつて、遠江の「橋本」や「池田」の渡し付近には遊女・白拍子などの里があったようで、かの蒲の冠者「源範頼」の母親も 池田宿の遊女だとされています。












同じカテゴリー(おでかけ)の記事
曽許乃御立神社
曽許乃御立神社(2012-03-23 03:21)

舘山寺とは??
舘山寺とは??(2012-03-17 04:54)

角避比古神
角避比古神(2011-10-18 08:43)

祝田厄除観音
祝田厄除観音(2011-05-18 00:00)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
忘れられた池田庄
    コメント(0)